カテゴリー「摂津国八十八ヶ所」の投稿

2025年6月 4日 (水曜日)

摂津国八十八ヶ所 第十七番札所 光照山 正祐寺

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正祐寺は光照山と号し高野山真言宗の寺院で、ご本尊は大日如来です。
正祐寺の歴史は非常に古く、伝えられるところによると、推古天皇の御代(593年~628年)に聖徳太子が創建されたとされています。
聖徳太子が「応現奇瑞(おうげんきずい)」を感じ、社殿を構えて天照大神と住吉大神を奉安するとともに、一宇の精舎を建立し、仏法弘通を念じられたのが始まりとされています。
当初は新蔵院と称し、現在の生國魂神社の中にあった生玉十坊の一つでした。明治時代初期の神仏分離の際、いくつかの寺院と合併し、光照山 正祐寺と改称して現在に至っています。

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摂津国八十八ヶ所 第十八番札所 五大山 宗恵院

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宗恵院は五大山と号し高野山真言宗の寺院で、ご本尊は大日如来です。
宗恵院の歴史は非常に古く、その創建年代は不詳とされていますが、もともとは「生玉十坊(いくたまじゅうぼう)」の一つである覚園院と称され、生國魂神社の中にあったと伝えられています。
その後、元禄年間(1688~1704年)に法印来辺和尚によって再建され、さらに安永年間(1772年~1781年)には秀神によって中興されました。
しかし、明治維新の「廃仏毀釈・神仏分離」の政策により、一度は廃寺の危機に瀕します。その際、近くにあった宗恵庵と合併し、宗恵院と改称して存続することになりました。
現在、正門は工事中で裏門から入る事になります。

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2025年5月13日 (火曜日)

摂津国八十八ヶ所 第四十一番札所 心王山 京善寺

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京善寺は心王山と号し真言宗御室派の寺院で、ご本尊は不動明王です。
創建年代は不詳ですが、かつては「金剛院」と称され、厄除け祈願の道場として栄えていました。
元和元年(1615年)の大坂夏の陣で焼失しましたが、承応2年(1653年)に桑津村の篤信者たちの霊夢に不動明王が現れ、再興を告げたと伝えられています。
その後、紀州から観弘実誉阿闍梨を招き、堂宇を再建し、寺号を「心王山 殊勝院 京善寺」と改めました。
本尊の不動明王は、和歌山県の根来寺の不動堂の本尊と同木同作とされ、興教大師(覚鑁)の作と伝えられています。

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摂津国八十八ヶ所 第四十番札所 紫金山 法楽寺

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法楽寺は紫金山と号し真言宗泉涌寺派の寺院で、ご本尊は不動明王です。
創建は治承2年(1178年)と伝えられ、平清盛の嫡子・平重盛公が、源平の戦乱で戦死した両軍の霊を怨親平等の精神で弔うために建立したとされています。
本尊には不動明王を祀り、源義朝の念持仏であった如意輪観音菩薩も安置されています。
山号の「紫金山」は、中国・育王山の禅師・仏照から贈られた紫金の仏舎利に由来し、院号の「小松院」は平重盛の別称「小松内府」にちなみます。
元亀2年(1571年)には織田信長の兵火により伽藍が焼失しましたが、正徳元年(1711年)に大和国宇陀松山藩織田家の殿舎を移築して復興され、現在の山門や本堂にその面影を残しています。

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2025年4月14日 (月曜日)

摂津国八十八ヶ所 第十六番札所 高津山 観音寺

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観音寺は高津山と号し高野山真言宗の寺院で、ご本尊は十一面千手観音です。
寺伝によると九条関白創建との事ですが、徳川初期の兵火により寺史などが焼失し詳細は不明です。
観音寺は当初「観音院」と称し、場所も15番札所「圓珠庵」の前、現在高津中学校がある場所にありましたが、戦災を受け諸堂宇が全焼しその後の区画整理のため現在地に移転しました。
「観音院」は1923年(大正12年)高津神社の神宮寺であった「観音院」と「智光院」が一緒になりつけられたもので1952年(昭和27年)現在地(高津高校の前)に移された時に、名称も「観音寺」と改められました。
近代的な建物のお寺です。

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摂津国八十八ヶ所 第十五番札所 雪光山 圓珠庵

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圓珠庵は雪光山と号し真言宗豊山派の寺院で、ご本尊は十一面観音です。
いつ頃からか、この辺りにあった三韓坂といわれる道の横に榎のご神木と祠があり、そのご神木に向かって「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を付き刺すという風習が生まれ、ご神木は次第に「鎌八幡」と呼ばれるようになりました。
慶長19年(1614年)、この地のすぐ東側に新たな大坂城の曲輪として真田丸を築いた真田信繁がこのご神木に参拝し、習わし通りに鎌をご神木に刺したところ、大坂冬の陣の際の真田丸の戦いで徳川方に勝利しました。
戦後、信繁はそのお礼としてご神木の祠を建て替えたのが始まりと云われています。
残念ながら、境内全域は撮影禁止です。

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摂津国八十八ヶ所 第十四番札所 慈雲山 六大院

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六大院は慈雲山と号し高野山真言宗 別格本山の寺院で、ご本尊は大聖不動明王です。
行基菩薩によって創建されたと伝えられていますが、詳しいことはわかっていません。かつては旧嵯峨御所の大覚寺の直末であった時代もあるそうです。
江戸時代末期、木食祐伝上人が四国八十八ヶ所霊場の各寺院の山主から開眼された石仏を背負い、10数余年の歳月をかけて六大院に奉祀し、境内に四国八十八ヶ所霊場を創設しました。門前にある高さ2.5mもの石碑の裏には、その経緯が刻まれています。
ご住職が留守の時は、十五番札所の圓珠庵でご朱印を頂けるそうです。

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2025年4月 7日 (月曜日)

摂津国八十八ヶ所 第六十四番札所 補陀洛山 浄光寺

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浄光寺は補陀洛山と号し真言宗善通寺派の寺院で、ご本尊は聖観世音菩薩です。
創建は古く、寺伝によると天長6年(829年)に弘法大師が諸国巡錫の際にこの地に立ち寄り、恵満という僧が感得した金像をご本尊として祀り、「補陀洛山 浄光寺」と名付けたとされています。
往時は七堂伽藍を備えた大寺として栄え、人々の精神修養の場となっていました。
しかし、天正7年(1579年)の荒木村重の乱による兵火で堂塔を焼失。豊臣秀吉の太閤検地により寺領を没収されるなど、衰退の時期もありました。
その後、寺名を慈眼院と改めた時期もありましたが、江戸時代中期に京都智積院の僧・性海がご本尊を探し出し、再興に尽力。郡山城主・柳沢家によって本堂が再建され、ご本尊が安置されました。
昭和に入り、旧名の浄光寺に戻し、真言宗善通寺派の別格本山となりました。
道を挟んで向かいの皇大神社横に参拝者用の駐車場があります。

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2025年3月31日 (月曜日)

摂津国八十八ヶ所 第六十五番札所 月峰山 大覚寺

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大覚寺は月峰山と号し律宗の寺院で、ご本尊は千手十一面観音です。
大覚寺は、尼崎市に現存する最古の古刹です。
寺伝によれば、推古13年(605年)に聖徳太子が百済の高僧日羅上人に命じて長洲の浦に作らせた寺と伝えられています。
毎年2月3日の節分会で、江戸時代に奉納されていた狂言が復活され<大覚寺狂言>として行われています。
阪神尼崎駅近くにお寺が密集する寺町があるって初めて知りました。

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2025年2月27日 (木曜日)

摂津国八十八ヶ所 第二十七番札所 開運山 高野寺

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高野寺は開運山と号し真言宗犬鳴派の寺院で、ご本尊は弘法大師です。
1871年(明治4年)の廃藩置県に際し、長州藩主毛利敬親が江戸堀にあった長州蔵屋敷の跡地を高野山金剛峯寺に寄進したのが始まりと伝えられています。
高野山は早速一寺を建立し、古伝の弘法大師像を安置しました。
その後、参詣する人が増えたため、1880年(明治13年)正式に高野山準別格本山三蔵院を当地に移還し、蔵屋敷跡を整備、諸堂宇拡充して寺名を高野寺と改称しました。
街なかにひっそり佇むお寺です。(因みに真裏はライフ土佐堀店です)

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