カテゴリー「西国三十三所巡礼」の投稿

2020年6月 6日 (土曜日)

西国三十三所 第四番札所【槇尾山 施福寺】

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槇尾山 施福寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/4)

施福寺は槇尾山と号し天台宗の寺院で、ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。
寺伝によると、欽明天皇の時代(539年~ 571年)に播磨国加古郡の行満上人が創建したと云われています。
麓の駐車場から本堂までは、八丁(約1Km)の急な階段を登らなければならず(約30分から40分の登山)、西国三十三所のなかでも厳しい参道として知られています。
新型コロナウイルスの影響により、5月末までは納経所が閉鎖されていましたが、6月1日より再開されたとの事だったので、約4ケ月ぶりの西国巡礼になりました。

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2020年2月 2日 (日曜日)

西国三十三所 第十六番札所【音羽山 清水寺】

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音羽山 清水寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/16)

清水寺は音羽山と号し北法相宗の寺院で、ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並び、創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、篤い信仰によって何度も再建されました。
1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
また、2017年2月より、平成大修理の集大成として、本堂の檜皮屋根の葺き替え工事が約50年ぶりに実施されています。

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2020年1月 4日 (土曜日)

西国三十三所 第二十五番札所【御嶽山 播州清水寺】

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御嶽山 播州清水寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/25)

播州清水寺は御嶽山と号し天台宗の寺院で、札所本尊は大講堂の十一面千手観世音菩薩です。
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺僧の法道が創建したとされ、推古天皇35年(627年)に推古天皇直々に根本中堂を建立し、さらに神亀2年(725年) 聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝えられています。
山の麓から登山道を歩く事40分で到着しますが、車では仁王門前の駐車場まであっという間です。

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2019年12月15日 (日曜日)

西国三十三所 第二十四番札所【紫雲山 中山寺】

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紫雲山 中山寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/24)

中山寺は紫雲山と号し真言宗中山寺派の大本山で、ご本尊は十一面観世音菩薩です。
西国七福神巡りの第六番霊場でもあり、寿老人が祭られています。
寺伝によると、聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場で、「極楽中心仲山寺」と称されていました。
たまたま訪れた日が12月の戌の日(2019年12月15日)だったので、安産祈祷会が開かれており、安産を願い、祈祷を受けた腹帯(鐘の緒)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者で賑わっていました。

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2019年10月22日 (火曜日)

西国三十三所 第十七番札所【補陀洛山 六波羅蜜寺】

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補陀洛山 六波羅蜜寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/17 )

六波羅蜜寺は補陀洛山と号し真真言宗智山派で、ご本尊は十一面観世音菩薩です。
天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創されました。空也上人は疫病の蔓延する当時の京都で、観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったといいます。
門前には、「みなとや 幽霊子育飴本舗」があり、幽霊子育飴がスイーツ巡礼に指定されています。

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2019年8月25日 (日曜日)

西国三十三所 第十一番札所【醍醐山 醍醐寺】

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醍醐山 醍醐寺(https://www.saikoku33.gr.jp/place/11)

醍醐寺は醍醐山と号し真言宗醍醐派総本山で、ご本尊は薬師如来です。
札所は上醍醐の准胝堂で、ご本尊は准胝観世音菩薩ですが、平成20年8月の落雷が原因による火災によりお堂が焼失したため、下醍醐の観音堂で参拝・納経・ご朱印を頂けます。
創建は、貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山し、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付け、豊臣秀吉による「醍醐の花見」で有名です。
また、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃しましたが、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。

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2019年7月28日 (日曜日)

西国三十三所 第七番札所【東光山 岡寺(龍蓋寺)】

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東光山 岡寺(龍蓋寺) (https://www.saikoku33.gr.jp/place/7)

岡寺は東光山と号し真言宗豊山派に属し、ご本尊は如意輪観音です。
創建は天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされています。
ご本尊の如意輪観音座像は塑像(土で造られた仏様)で、弘法大師の作と伝えられ、塑像としてはわが国最大の仏像であり、厄除け観音で知られ、古来より信仰を集めています。
この日は、壷阪寺に続き2ケ所目だった為、デジカメの電池が無くなり途中からスマホでの撮影になりました^^;

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西国三十三所 第六番札所【壺阪山 南法華寺(壺阪寺)】

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壺阪山 南法華寺(壺阪寺) (https://www.saikoku33.gr.jp/place/6)

南法華寺は壺阪山と号し真言宗に属し、ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。
創建は『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれています。ご本尊の十一面千手観世音菩薩は、殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として、広く信仰を集めてきました。
また、堂内の撮影も三脚を使わなければOkとの事で、ご開帳されていたご本尊も撮影できました。

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2019年6月23日 (日曜日)

西国三十三所 第十四番札所【長等山 園城寺(三井寺)】

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長等山 園城寺(三井寺)(https://www.saikoku33.gr.jp/place/14)

園城寺は長等山と号し天台寺門宗の総本山で、ご本尊は弥勒菩薩です。
7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍によって再興されました。
10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって焼き討ちされることが史上度々ありましたが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、「不死鳥の寺」と称されています。
また一般に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します。

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2019年4月28日 (日曜日)

西国三十三所 第十九番札所【霊麀山 行願寺(革堂)】

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霊麀山 行願寺(革堂)(https://www.saikoku33.gr.jp/place/19)

行願寺は霊麀山と号し天台宗に属し、ご本尊は千手観音です。
寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建しました。現在の京都市上京区京都御苑の西方で、今でも付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残っています。しかし、豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転しましたが、宝永5年(1708年)の大火の後、やや南に下がった現在地に移転しました。

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