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その昔、高野山へ登拝するための参詣道(古道)には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていました。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。高野七口の一つ、京大坂道(きょうおおさかみち)の到着地点の不動坂口に、女人堂があり唯一現存する建物です。
投稿者 kazuy 時刻 午後 12時00分 和歌山県のええとこ | 固定リンク
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