2023年8月の投稿
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郷社 丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)
丹生官省符神社のご祭神は、丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神、天照大御神、誉田別大神、天児屋根大神です。
空海が真言密教の根拠地を求め大和国宇智郡に入った時、猟師の姿に扮した狩場明神(高野御子大神)にる霊地・高野山の存在を教えられ、その使いである白・黒二匹の犬に空海を高野山まで導かせました。
この後、弘仁7年(816年)、空海は嵯峨天皇から高野山の地を賜り、この縁により空海は狩場明神とその母である丹生都比売大神を高野山の入り口である当地に丹生高野明神社として祀りました。
本殿は国の重要文化財、境内は国の史跡「高野山参詣道」を構成する「町石道」の一部として史跡に指定されており、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部として登録されています。
境内の北にある階段を下がると途中に町石・百八十町石があり、さらに下ると慈尊院があります。
ご朱印は、通常のご朱印と弘法大師御誕生1250年のご朱印を頂きました。
万年山 慈尊院(じそんいん)
慈尊院は万年山と号し高野山真言宗の寺院で、ご本尊は弥勒菩薩です。
弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所および冬期避寒修行の場とされました。
境内は、国の史跡「高野参詣道」を構成する「町石道」の一部として指定されています。また、本堂の弥勒堂は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。
その境内の片隅に「高野山案内犬ゴンの碑」が建っています。昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた白い雄の野良犬で、誰が教えたわけでもないのですが、その犬は高野山への参詣者の道案内をするようになりました。
高野山町石道の約20kmの道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻るという毎日を送るようになりました。
約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり、「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり「」お大師さんの犬」などと呼ばれ親しまれたそうです。
ゴンは2002年6月5日息を引き取りましたが、参詣者から愛されていたゴンを惜しみ、弘法大師像の横に「高野山案内犬ゴンの碑」を建てられました。
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京都十三仏霊場 第三番 円通山 戒光寺(かいこうじ)
戒光寺は円通山と号し真言宗泉涌寺派の準別格本山の寺院で、札所本尊は文殊菩薩です。
京都十三仏霊場(初七日から三十三回忌まで死者の成仏を司る十三仏を祀る京都府内の寺院を巡る霊場)の第三番霊場です。
鎌倉時代の安貞2年(1228年)、浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に戒光寺を創建しましたが、応仁の乱によって堂宇を焼失し正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願により現在地に移転し、泉涌寺の塔頭となりました。
ご本尊の釈迦如来は後水尾天皇の身代わりになって傷を受けたという伝承もあり、後には庶民から「身代わり丈六さん」の名で信仰されています。
生憎雨の日の訪問でしたが、ご本尊の丈六釈迦如来像は高さが約10mもある大仏様で迫力がありました。
2023年8月 8日 (火曜日)
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2023年8月 5日 (土曜日)
おおさか十三仏霊場 第十一番 高津山 報恩院(ほうおういん)
報恩院は高津山と号し真言宗醍醐派の寺院で、札所本尊は阿閦如来です。
おおさか十三仏霊場(初七日から三十三回忌まで死者の成仏を司る十三仏を祀る大阪府内の寺院を巡る霊場)の第十一番霊場です。
寺伝によると、寛文年間(1661年~1673年)に良遍上人が大坂の上町台地に北向不動明王を造立した事が始まりと伝えられています。
1945年(昭和20年)3月13、14日の第1回大阪大空襲で、石造の北向不動尊像を残して全て焼失しましたが、その後に諸堂が再建され北向不動尊像が新しく造られると、もとの北向不動尊像は南向不動尊像とされました。
道路を挟んで向かい側に、落語「高津の富」でも知られる高津宮への参道入口があります。また行ってみたいですね。
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