
ご祭神は百済国王と進雄命。
百済滅亡後、日本に残留した百済王族・善光は朝廷から百済王の姓を賜り、その曾孫である百済王敬福は陸奥守に任ぜられ、749年陸奥国小田郡で黄金900両を発見して朝廷に献じました。
その功によって敬福は従三位宮内卿・河内守に任じられ、百済王氏の居館を難波から河内に移しました。当地には氏寺として百済寺、氏神として百済王神社が造営されました。
数度の火災により百済王神社は次第に衰退しました。後に奈良の興福寺の支配下に入り、再興が図られました。現在の本殿は、興福寺と関係が深い春日大社の本殿を移築したものです。







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