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藤原鎌足公の墓所は、初めは摂津の安威にあったが、後に大和多武峰に改葬されたとの説があり、江戸時代にこの塚をあてるようになりました。そのために鳥居を建て石碑を造り石室内に祠をつくって崇拝し、毎年10月16日には京都の九条家から使者が来て、反物二千匹を持参しお祭りをされていたそうです。考古学上からは、山頂を利用した円墳で、横穴式石室を有しています。造られた時期は、古墳時代後期(六世紀後半)の頃ですが、早くから開口されたので、副葬品などは何もわかっていません。
投稿者 kazuy 時刻 午後 01時46分 茨木市のええとこ | 固定リンク
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