
平安時代に創建された真言宗の古刹で大覚寺派に属し、ご本尊は不動明王です。

天正年間、明智光秀は本尊の不動明王を厚く崇敬し、将兵はその加護を得て本能寺の変を決意するや、この不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願をこらし、その高徳を得て本懐を遂げたといわれます。

毎年初夏、境内は桔梗の花が咲き乱れるところから、「桔梗寺」と呼ばれています


「光秀公首塚」
明智光秀が豊臣秀吉の軍に山﨑の戦いに敗れ、坂本城に向かう途中、天正10年(1582年)6月に山科小栗栖で民衆に襲われ殺されました。溝尾庄兵衛は光秀の首を隠しておき、後に光秀が生前に信仰していた谷性寺に運び懇ろに埋め葬ったとされています。

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