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幕末の漢詩人藤井竹外は、文化4年(1807)高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれました。 竹外は藩の教育機関である青莪堂(九代藩主永井直進により設立)で学び、鉄砲術をはじめ武芸にも励んだといわれます。 文武両道の素養を備え、青年期から頼山陽を師と仰ぎ詩作に傾倒しました。酒をくんでは詩作に没頭し、七言絶句を得意としたため、「絶句の竹外」ともよばれたといいます。 慶応2年(1866)、60歳で世を去った竹外の墓は乾性寺にあり、旧城下の本行寺にも自然石に刻まれた「竹外藤井先生之墓」があります。
投稿者 kazuy 時刻 午後 02時33分 高槻市・島本町のええとこ | 固定リンク
高槻は名所遺跡が多いですね 摂津峡を一度ゆっくりと散策したいと思います
投稿: 天和 | 2012年7月17日 (火曜日) 午前 10時06分
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高槻は名所遺跡が多いですね
摂津峡を一度ゆっくりと散策したいと思います
投稿: 天和 | 2012年7月17日 (火曜日) 午前 10時06分