尸陀寺跡(しだじあと)
尸陀寺は室町時代中期の禅僧で、「一休咄」でも知られる一休禅師が開創したと草庵(尸陀寺)跡と伝えられています。
一休が当地を訪れたのは、嘉吉2年(1442)49歳の時といわれ、「東海一休和尚年譜」には「師初めて譲羽山に入る。民家を借りて住す。山居の偈あり。後、尸陀寺を創して徒る」と書かれています。
石碑は昭和37年に地元自治会の手によって建立されたもので、寺はこの碑の東方200mにあったとされています。
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