史跡 下田部高札場(しせき しもたなべこうさつば)
江戸時代後期頃にたてられたとみられ、当時のものとしては市内で現存する唯一の高札場です。高札場とは、幕府や高槻藩の法度、定書などを庶民に知らせた「公報板」です。
かつては村々の主要なところに設けられ、文化4年(1807)編集の「山崎通分間延絵図」にも、西国街道沿いの市域で九箇所が記載されています。
しかし、年月の経過とともに姿を消し、この高札場はかつての形式をとどめる貴重な遺構として、昭和51年6月に市の史跡に指定されました。
高札場の左下の標石は、高槻城下六口(芥川口、京口、前島口、大塚口、大坂口、富田口)の一つである大坂口に設置されていたもので、右面に「左 高つき 京みち」、左面には「右 大坂」と刻まれています。石材は花崗岩で、裏面に矢穴痕がみられることから、高槻城の石垣石を転用したものと考えられます。
【2007年2月に訪問した際の記事】
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