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2012年2月19日 (日曜日)

芥川のトロッコ列車(土汽車)

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高槻市郡家本町の芥川に残っているトロッコ列車(土汽車)の鉄橋の基礎です。
 
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大正6年(1917)10月1日午前8時40分、大塚の堤防が台風による連日の大雨により決壊し、高槻町(現在の高槻市)に甚大な被害をもたらしました。これが世に言う「大塚切れ」です。
 
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その後も淀川の氾濫は続き、昭和15年(1940)高槻市大塚周辺で堤防工事が始まり、大蔵司にあった工兵第四連隊の演習場はその土砂採取場となり、芥川の堤防上にレールが敷かれトロッコ列車(土汽車)によって土砂は淀川まで運ばれました。
 
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戦後、土砂を採取された演習場は南平台住宅地として開発されたり、高槻市立第二中学校の敷地となりました。
 
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いつ頃まで活躍していたかはわかりませんが、昭和31年(1956)第二中学校のすぐ裏にはまだ土汽車が走っていたと言う記録が残っています。
 
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コメント

西国街道が芥川に架かっているいた所に大きな銀杏の木がありました。芥川には堤防が三本、東から1番堤防、2番堤防そして3番堤防と。3番堤防が高槻市立第二中学校への通学路でした。銀杏の木は2番堤防。そこに踏切があって、”土汽車”が通る時は「おじさん」が遮断機を降ろしていました。懐かしい思い出です。

投稿: 金平父ちゃん | 2022年3月 5日 (土曜日) 午後 04時13分

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