芥川城址 (あくたがわじょうあと)
芥川城の築城時期は不明ですが、芥川宿を根拠とした芥川氏によって鎌倉時代後期には築かれたとされます。芥川に沿った東側の芥川4丁目から芥川2丁目にかけて、教宗寺を中心に西国街道の芥川宿一帯の北側を城域として拡大形成されていったようです。
応仁の乱(応仁元年 1467)による山名持豊と細川勝元との戦の中で、 芥川氏は三宅・吹田・茨木氏らと東軍に属して戦った頃には芥川城は芥川氏の居城でしたが、やがて没落し史上からも姿を消してしまいます。
その後・延徳2年(1490)細川政元がさびれていた芥川の再建に乗り出して北摂の能勢因幡守頼則を城主としています。今では芥川城址の石碑と、ここにお城があったことを思わせる「殿町」という地名が残るだけでお城の面影は全くありません。
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