村社 八阪神社(やさかじんじゃ)
祭神は素盞鳴命。
社伝によれば、政和天皇の時代(9世紀後半)に疫病が流行したため、牛頭天王(ごずてんのう)を祭神に迎えたのが起源だそうです。
明治5年に村社となり、大正3年には城山地区の勝手神社が合祀されました。
境内には花崗岩製の石槽があり、昭和49年に芥川4丁目にある教宗寺の石槽とともに、大阪府に有形文化財に指定されました。
この石槽は、花崗岩製で長さ1.6m 幅1.2mの自然石に頭辺がやや広い楕円形の深さ約48cmの槽穴を彫りこんでいます。
外表面に「和銅4年」と刻銘されていますがこれは後世の追刻だそうです。
石槽は石棺あるいは石風呂という2説ありますが、槽底に斜めに貫通すた径10。5cmに水抜孔があることから石風呂であると考えられています。
毎年4月初めに「春祭歩射神事(通称:大蛇祭)」が行われます。ワラで直径25cm、長さ30mもの大綱を編んで、これを大蛇に見立てて村中を練り歩いたのち、弓で射ます。(平成18年2月に市の無形民俗文化財に指定)
明治時代以前は、村の男たちが境内を流れる川を挟んで上下に分かれ、綱が切れるまで引き合ったといわれています。近くの池に住んでいた大蛇を退治した故事によると伝えられますが、豊作を祈願する春祭りが起源と考えられています。
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