畑山神社(はたやまじんじゃ)
ご祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と菅原道真。
社伝によれば、元亀年間(1570年代)、金仙寺の鎮守である三十番神を合祀して、殿舎や二重宝塔を建て、永福寺と名付けられたといいます。
慶長年間に火災で焼失。宝永3年(1706)、現在の社殿や多宝塔などが再興され、文化4年(1807)編修の「山崎通分間延絵図」には、神社と寺院の混淆する様子が描かれています。
明治元年(1868)の神仏分離令により、畑山神社と称するようになりました。
またこの地はその昔、7世紀後半ころには、高槻市内最古の寺院の一つである梶原寺が創建されていたとみられ、瓦などが出土しています。
高槻の古木 クスノキ(市内随一の幹周りを誇るそうです)
この神社の裏手山麓斜面には、7~8世紀頃の瓦窯跡があります。
奈良正倉院文書には、天平勝宝8年(756)、東大寺の造営にあたっていた造東大寺司が梶原寺へ6,000枚の瓦を発注したとの記録が残っています。
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