郷社 式内 神服神社(しんぷくじんじゃ)
私の母校である清水小学校の前にある神服神社。何年か前までは毎年、初詣はここでした。
また2人の息子たちの七五三もここでお願いしました。
神服神社は、927年に編纂された「延喜式」に記載されている律令時代の神社で、ヒノハヤヒノミコト、マラノスクネ、スサノオノミコトが祀られています。
この地は、奈良時代、摂津国島上郡服部郷にあたり、服部連(はっとりのむらじ)の本拠地であったとされています。
第19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の時代(5世紀前半)に、機織りの織部が各地に多数設置されることとなり、朝廷は管理者をおきました。
管理者はやがて「服部(はとりべ)」と呼ばれ、諸国の織部の総領として「服部連」の姓を賜りました。
服部連は祖先を勧請し、「服部神」と称していましたが、延喜年間に「神服神社」と改称しました。
[高槻市HPより]
境内には高槻の古木100選のヤマモモがあり、幹周りは高槻市随一だそうです。
境内には末社の春日神社と稲荷神社の2社が建っています。
大阪府全志(大正11年)には、「明治40年に春日神社(祭神:アメノコヤネ)・稲荷神社(ウカノミタマ)を境内に移し、上宮神社(服部連)・若宮神社(アメノコヤネ)・神明神社(アマテラス・トヨウケ)を合祀した」とあります。
明治40年代に強行された神社統合整理によって、近傍の字から当社に移されてきました。
| 固定リンク
コメント