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2009年11月17日 (火曜日)

史蹟 番田大樋(しせき ばんだおおひ)

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慶安3年(1650)高槻は大洪水に見舞われ、淀川沿いの村々では収穫が半減するなど被害を受けました。
これを契機に、翌4年から高槻藩主永井直清により、番田の排水路(井路)掘削工事が行われる事になりました。
これは、天井川である芥川の川底の下を横断する木管によって、番田井路と天正年間に完成した三箇牧井路を結ぶものでした。
 
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工事は承応2年(1653)に完成し、番田の悪水は柱本で淀川に流されるようになりました。
しかし、淀川川床の上昇のために改修が必要になり、元禄13年(1700)から、京都の高瀬川開削で知られる川村瑞賢の監督で再工事が行われ西に井路を開削しました。
この結果、番田から芝生・玉川・安威川を経て神崎川へ至る経路が完成しました。
 
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その後幾度と改修が行われましたが、大正6年(1917)の大塚切れと呼ばれる大洪水を機会に大正12年(1923)改修工事が着工、大正15年(1926)に2艘の樋を統合改築する工事が完成しました。
この大樋は、鉄筋コンクリート製で樋門の正面は赤煉瓦の構造物でした。
平成3年(1991)芥川右岸堤防拡幅に伴い新大樋が完成し、赤煉瓦の旧大樋は撤去されそれを模した記念碑が作られました。
 
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現在の番田側の水門です。あちこちから水路が集まってきています。
ここから芥川の底をくぐって右岸の芝生(しぼ)へと流れて行きます。

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平成9年3月に一連の改修工事が完成した際に、出口(芝生側)に大阪府
によって「芝生大樋」記念碑が完成しました。
 
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左岸の番田側から流れてきた水はこの先、玉川から安威川を経て神崎川へと長い旅へ出かけます。
 
番田大樋

 
芝生大樋

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