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2009年9月29日 (火曜日)

大塚洪水記念碑

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午后四時頃最高水ナリキ、其間工兵隊ハ鉄舟ヲ出シ、時々巡回シ避難民ヲ送リ出シ、役場連モマタ舟ニテ領飯ノ労ヲ取リ
「上西松太郎参考日誌」より
 
大正6年(1917)10月1日午前8時40分、大塚の堤防が台風による連日の大雨により決壊し、高槻町(現在の高槻市)に甚大な被害をもたらしました。これが世に言う「大塚切れ」です。
 
台風がもたらした大量の雨により淀川本流、支流ともに水位が上昇し、1日早朝には番田の芥川堤防が決壊、ほぼ同時に芝生の堤防が290mにわたって決壊しました。
さらに、大塚の淀川本流の右岸堤防が大音響を響かせながら、長さ約470mにわたって崩壊しました。

堤防の決壊によって、まちに流れ出た濁流は渦を巻き、波打って怒涛のごとく流れ込み、大塚堤防辺りの家並み数戸がアッという間に押し流され、午後2時頃には天神山の山際あたりまで浸水し、さらには安満・野田にも及んだことが記録に残っています。

[高槻市HPより引用]

この水との闘いを伝える碑として昭和5年(1930)に「洪水記念碑」が建立されました。
 
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被害は高槻市内だけにとどまらず・・・・・・ 
高槻市大塚の淀川堤防をはじめ、芥川・安威川・神崎川などが各所で決壊し、淀川右岸は尼崎方面まで濁流に満たされた。
淀川洪水史上でも屈指の大災害となる。
家や橋は流され、農作物は全滅し、全国から救援物資が寄せられた。

Photo
大正6年「大塚切れ」堤防復旧工事

[摂津市HPより引用]


なんと被害は西成郡(現在の東淀川区、淀川区、西淀川区)まで及んだそうです。
大正6年9月末の豪雨により淀川右岸三島郡大冠村(現在の高槻市)大塚の堤防が二百メートルにわたり決壊しました。
この洪水の決壊個所から「大塚切れ」と呼ばれました。三島郡の大半を沈め当時西成郡であった現在の東淀川区、淀川区、西淀川区一帯は泥海と化し、十三付近で浸水八尺(約2.4メートル)に達しました。この洪水による浸水町村数 三十一、罹災戸数一万五千四百九十七戸、罹災人口四万六千四百九十一人に達しました。

当時の福村では、十月一日夕刻、村民に対して避難するよう通告されました。そして三日昼過ぎ、さらに濁流が押し寄せました。そして十月中旬ようやく淀川の水位が下がりはじめました。浸水各村内の水位の方が淀川より高いので、今の国道四十三号より上流約二百メートルの個所で淀川の堤防を切開して停滞していた湛水を淀川へ流し出しました。福村で地面を見ることができるようになったのは、ほぼ一ヶ月後の十一月五日でした。
現在、湛水を流し出すために堤防を切開した地点の右岸堤防に大塚切洪水碑が建てられています。
 
[大阪市西淀川区役所]

 
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スーパー堤防には賛否両論があるようですが、少なくともここ大塚地区は整備が進んでいます。
 

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コメント

切開ってなに?

投稿: BlogPetのkousagi | 2009年9月29日 (火曜日) 午後 02時15分

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