高槻城の石垣
高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内に取込んで堅固な城郭を築きました。
明治維新により工部省の命令で高槻城は解体され、明治7年(1874)に京阪間の鉄道建設のため石垣や木材などがその資材として使われました。
しかし、その一部は市内各所で見ることができます。
上宮天満宮の参道坂道に積み上げられた大きな石。これこそが高槻城の石垣なのです。
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高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内に取込んで堅固な城郭を築きました。
明治維新により工部省の命令で高槻城は解体され、明治7年(1874)に京阪間の鉄道建設のため石垣や木材などがその資材として使われました。
しかし、その一部は市内各所で見ることができます。
上宮天満宮の参道坂道に積み上げられた大きな石。これこそが高槻城の石垣なのです。
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受信: 2007年3月15日 (木曜日) 午前 09時19分
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